2020年10月6日火曜日

カイルラーソン エッセー全文・日本語訳

 カイルラーソン:学んだこと

2020年10月4日
6月にさかのぼり、ポコノでのNASCARダブルヘッダーレースの2日前、私は100マイル離れたフィラデルフィアの教室に居ました。ポコノまではI476(高速道路)を北に少し行ったところにありまが、行こうとは思いませんでした。月に行くような思いでした。

 10週間前、私はNワードをEスポーツレース前に公に公開されているチャンネルで言ってしまいました。私の人生は一瞬にして崩れ落ちました。私はすぐにNASCARから出場停止となり、私の仕事であったトップチームからもクビになりました。私を速いレースカードライバーに育ててくれたクルーたちのキャリアを危険にさらしました。私のファンは怒っていました。一瞬にして、私は自身で信用を壊してしまいました。

 誰でも膨大な失望をさせてしまった人には最悪な場面はあります。教室に座っているとき、以前の生活から二時間も経っていない中、私を支えてくれていたグループを見て、彼らは今では完全に失望していました。
 私はアーバンユースレーシングスクールに居ました。そこは子供たち、主に黒人の子供たちにモータースポーツへの機会を与えるところでした。私は何回かここを訪れたことがありました。生徒たちと話したり、年間の表彰式などにも招待されました。私は彼らの仕事が大好きで、連絡を取り合っていました。私はスプリントカーを走らせていました。スプリントカーが勇逸ハリスバーグできるレースだったので、フィラデルフィアからオーナーと繋がるために3時間かけて行きました。アンソニーさん、ミシェルマーティンさんと生徒の一人のJysirさん。

 去年の10月、Jysirさんは私がNASCARドーバーのレースで勝った時一緒にビクトリーレーンでお祝いをしました。彼は私が傷つけた人の一人です。彼はなぜこのようなことが起きたのか知りたがっていました。彼のお母さんも知りたがっていました。彼らは、私の話を電話やZoomコールで聞きたくはなかったので、対面で話す必要がありました。私は正直に彼らに話しました。私たちは難しいトピックについて2時間以上話しました。そして、多くの時間を聞くことにも使いました。ミシェルさんは私に黒人の悲惨な歴史を教えてくれました。私が起こしたことについて、Jysirさんと彼の母へ謝罪しました。私は得たものは共感でした。

 私が彼らに話したことについて話します。
 パンデミックの最中で世界中のスポーツが中止になっていた4月12日、日曜日の夜、私はNワードを世界中の人が見ている中、マイクで言ってしまいました。
私は世界中の人がこれを聞いていると知っていましたか?知りませんでした。私はこれは個人のチャンネルと思っていました。私が言葉を言ったとき多くの人があきれたことは理解しています。

 オートレースは私の生きがいです。NASCARがオフシーズンの間、私は海外でレースをしていました。その海外でレースをする中で、Nワードを頻繁に使うグループがありました。彼らはあいさつ代わりのように使っていました。もちろん、この言葉が私の周りでどのように私の周りで使われていたかは今回起こったことと関係はありません。実際には、その言葉が私の前で言われており、私はそれをチェックもせずに使うことを許してしまいました。私は、それが大丈夫かどうか判断することに無知でした。オンラインレースの夜、私は聞こえてる?とカジュアルに聞いたつもりでした。これを書いて、私がどれだけ馬鹿げていたか気づき、恐ろしいことに気づきました。

 そして、事態を悪くしたのは、差別に対して私は本当に知ってることでした。
私は日本人とのハーフです。私の両親は異人種間のカップル(国際カップル)で見た目が違うというだけで一緒にいるのも不愉快と感じていました。そして、27歳の息子がなぜいきなり人種差別の言葉を言ったのか尋ねられました。私の母の祖父母は第二次世界大戦中に強制収容施設に収容されていました。これは私が犯したことへの言い訳では決してありません。

 私の両親の悲しみは非常にわたしに影響していました。私を信じてください。私はこのような言葉を言ってしまいましたが両親は私の妹をこのようには育てていません。しかし、私は彼らを悲しませてしまったが、彼らは私が必要とするときいつもそばにいて支えてくれました。私は家族を必要としていました。彼らは5か月間助けてくれました。

 しかし、私の両親と同じように私を信じてくれた人はいません。そして、私は失敗しました。私は隠れたかったです。私はSNSをすべて消しました。コロナウイルスの中、マスクを着けることは私を安心させました。それは健康的ではありません。私は自分自身、普段の生活に戻ることが必要でした。

 4月以来、私はたくさんのことと向き合いました。そして、私はアフリカ系アメリカ人について無知であることに気づきました。自分で、彼らのことについてもっと前から勉強するべきでした。その勉強が私を良い人(簡単に差別用語を言わない人)にしたかもしれません。黒人に関する過去の歴史、差別を理解しようとする努力。黙って学ぶのは私の過去の自分です。

 私が最初に学んだことはNワードは私が使うものではないということです。それが私の言葉の一部になるべきではないということです。この言葉は、奴隷、不平等と長い間関係がありました。私はこの言葉を誰かを傷つけようと思って言ったわけではありませんが、2020年今も不平等と正義のために戦っているすべての人から信頼を無くしました。この数か月黒人の抗議を見て、私が言ってしまったことに傷つきました。

 NASCARはこれらに対して決して許さないポリシーでした。NASCARが私を出場停止にした際、私は必須のトレーニングプランを受け取りました。このプログラムを通して私はたくさんのことを学び成長しました。NASCARでレースができる日が来ることを願っています。

 しかし、自分でも何かする必要がありました。私は異文化のコーチを雇いましした。彼は7人の子供がいる黒人でした。彼との会話は街中を運転して警察に止められた話など以前に私が考えていなかったレベルの話でした。私が当たり前と思っていたことは当たり前ではないことにも気づきました。


 5月初旬、私はボランティア活動のためミネソタに行きました。トニーさんはフードドライブをやっています。彼は引退したサッカー選手でセレブリティからの資金でボランティアをやっています。ジョージフロイドさんの事件のあと私はミネアポリスに戻り、私はトニーさんと合流しました。そこで、多くの影響を与えた場所を訪れ、私は彼らになぜ近所を壊すのですかと聞きました。彼らの答えは衝撃的でした、”人々が社会に受け入れられなければ、彼らは愛着を持っていません”

 私はオリンピックのレジェンドであるジャッキージョニーカーシーさんとセントルイスで話しました。私は黒人のアスリートと話す機会がありました。ババやハロルドバーナー、トッド、ウィリアムTなどなど(省略)。私たちはただ黒人の歴史について話したわけではありません。私たちは共感を持つことの大切さ、私たちのようではなく苦しんでいる人たちについて考えることの重要性について話しました。
 
 これらの経験と会話は共通性と予想していなかった答えがありました。私が話したすべての人々は、私の間違いについて理解してくれました。これらは決して簡単な話ではありません。マイクメットクラフトさんは意思が固い人の一人でした。彼は黒人のクルーメンバーで、私がレースを始めたころから一緒に働いていました。彼の失望は家族の失望と同じようなものでした。
 私は彼の正直な意見をたくさん受け取りました。しかし、それらが私に与えたのは希望と謙虚さです。

 Nワードを言った後、怒りがたくさんの方向から来ました。人種差別主義者と呼ばれることはとても傷つきましたが、原因を作ったのは私自身です。しかし、予想していなかったことは、私が起こしたことに対して失望したすべての人が、私をあきらめない選択をしました。それは、私のあきらめないというモチベーションにつながり、前向きに考えることができました。

 長い間、私は私より大きい問題の一部でした。私は仕事を失い、公に人種者別者として公開されましたが、これらが私自身を理解することにつながりました。しかし、私の子供たちはいつか成長した時に私(父)が言ったことの意味が分かるでしょう。私が言ったことは変えられません。しかし、これからはコントロールができます。

私は言葉がどれだけ影響するか知ってもらいたい。あなたの間違いによる謝罪、説明、許し、尊敬すべてです。私はこれからも彼らの話を聞くことを止めません。そして学び続けます。しかし、今は行動です。正しいことをして、解決策の一部となり、新しい物語を書き子供たちに誇らしく読んでもらえるように。

 人々はこの5か月間様々なことを教えてくれました。次に教室にいる際は、私の過去の過ちから、学ぶことができるように私の話を共有し、彼らの親切さに報われるように願いたいです。この話を誇りをもって話すことができるかは私次第です。



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